人生の岐路と言う表現があるように、一生の中での分岐点に差し掛かると、人は多かれ少なかれ思い悩むように出来ているのです。
そして本当は、悩むことで確実に成長している自分がいるのに、残念な事になかなかそれに気付く事が出来ません。
偉そうな事を言ってる私もしかり。
几帳面なのか神経質なのか要領が悪いのか、性格が災いして人の数倍も苦しみ悩んできました。
そんな時に、ふと目にした偉人の名言が、ほんの少しでも心の癒しになったものです。
この記事が、わずかでもあなたの一助になるなら本望です。
ベートーヴェン【苦悩から歓喜へ】
楽聖と神聖化される大作曲家ベートーヴェン。かの天才が残した金言の中でも、この言葉がもっとも光を解き放つと私は確信します。彼の音楽を語る時に、間違いなく真っ先に出てくる表現がこの『苦悩から歓喜(勝利)へ至る』と言う名言なのです。
特に、彼の代表作品である交響曲第5番『運命交響曲』。
「ジャジャジャジャーーーーン」の出だしで始まる、有名なあのフレーズですね。
これはベートーヴェンのみならず、人類が生んだ未来永劫まで廃れる事はないであろう珠玉の名作です。
それなら子供でも知っているフレーズなのですが、その後に曲が進んで終楽章が希望と光あふれる明るい音楽に達することはあまり知られていないのが現実です。
最初はもがき苦しむ苦境から始まり、紆余曲折を経て、喜びの爆発へ至る。
これがベートーヴェンが後世に残した【あらゆる人生の試金石】なのです。
第九交響曲も「苦悩から歓喜へ」
もうひとつ、毎年年末になると全国あちらこちらで開催されるベートーヴェン作曲の第九交響曲。「合唱付き」とのタイトルで、これも不朽の名作として富みに有名です。
オーケストラの後ろには合唱団がズラリと並び、4楽章に入ると4名の歌い手ソリストと共に、人類の自由と平和を高らかに謳いあげて壮観です。
第九は、この4楽章の有名なフレーズだけが有名になっていますが、最初の1楽章と2楽章は終始たいへん暗くて重い陰鬱な世界が展開されています。
『苦悩の英雄』と称賛されるベートーヴェンの真髄と言えるほど、苦しみに満ちた音楽なのです。
そんな苦しみも、終楽章では勝利の喜びと歓喜に満ち溢れた音の塊となって合唱とソリストが高らかに謳い(うたい)あげます。
『そんなものではない!もっと高らかに自由を!』
ベートーヴェン感動のエピソード
日本では年末恒例の第九交響曲。これが初演された当日、ベートーヴェン自身は指揮者のすぐ隣りに立ちながらオーケストラを指揮をしたそうです。
ところが、既に彼は聴力を失いオーケストラの音が全く聞こえないため、彼が振る指揮棒はオケの演奏とまったく合いません。
しかしです。終楽章の最後の音が終わるやいなや、聴衆はベートーベンに対して万来の拍手を惜しみなく送ったと伝えられています。
ただ、ベートーヴェンには、そんな盛大なる拍手が聴こえません。
指揮者が彼を聴衆へ振り向かせて、彼は始めてこの第九交響曲初演がウィーンの聴衆に受け入れられた事を知ったのです。
【苦悩から歓喜へ】
苦悩の英雄ベートーヴェンは、勝利したのです。
おのれに、人生に、人類に。
それは大作曲家の生き様そのもの
ベートーヴェンは、30歳にして最初の交響曲を完成させました。その時には既に、両耳の聴力はほとんど失われていたと言います。そして彼の真の偉大さは、ここから始まるのです。
音楽家にとって、音が聴こえない事がどれほどの苦しみなのかは、想像に難しくはありません。
とても人並みの精神力では、持ちこたえられないでしょう。
ちょっと壁が出来れば、心が折れたメンタルやられたとぼやく凡人とは次元が違い過ぎます(私もです)。
格好のいい事は、誰だっていくらでも書けます。
「だから、苦しいことや辛いことがあっても頑張ろう」みたいな平々凡々は誰だって書けるし、偉そうに話せる。
でも、実際にその苦境のどん底に陥った時にどう対処しどのように這い上がるのか。そこが肝要です。
その対処方法を、天才ベートーヴェンは具体的に示唆しています。
それがこれです。
偉大なひとかどの人物は、多くを語らないものです。
だからこそ、ちょっとしたほんの一言が、時代を超えて後世まで伝えられ伝わるのだろうと思います。