「Bさんはいつも優しい」
「Cさんは意地悪だ」
私たちは小さな頃から大人になった今でも、家庭内でも学校でも勤務先でも、こんなふうに話していますよね。
「○○は●●だ」との「評価」を下しているわけです。
小さくは友だちから会社など大きな集団の中まで、自分では気付かないうちに、常に第三者に対して「レッテル貼り」をしているのです。
このレッテル張りこそが、ラベリング理論なのです。
ラベリングはプラスにもマイナスにも働く
「自分は××なんだ」と言う思い込みは、大抵の場合はそれが自身の内側から湧き出てきた思考や感情ではありません。
自分自身の思い込みの原因は、周囲からの「たび重なる注意」や「叱責」、「うわさ話」「陰口」「非難・誹謗中傷」などです。
要するに、過剰な思い込みは、本人に対するレッテル貼りが原因なのです。
多くの場合は家庭内や学校・会社などの集団内でのウワサや評判です。
知らず知らずの内にレッテルを貼る、あるいは貼ってしまう、そんな経験は誰しもあると思います。
実はそれ自体(レッテル貼り)が、自分自身の評価(アイデンティティ)やその後の行動に大きく影響するものです。
レッテルを貼る行為をラベリングと表現し、レッテルの内容は自分の性格や行動内容に大なり小なり影響を与える。
これがラベリング理論です。
アメリカの社会学者ハワード・ベッカー氏と同学派の研究者によって提唱されました。
ひとつの集団から外れてしまう(逸脱)行為を、その逸脱者だけではなく、周囲のレッテル貼りをした集団にも目を向けた分析が画期的だったのです。
ラベリング理論は「レッテル貼り」
- 「Tさんはいつも仕事が速い」
- 「Pさんは必ず営業成績ダントツ」
- 「Oさんは遅刻魔だ」
するとその本人は、ますますその傾向を強めていくような行動をとるとの研究結果があります。
仕事が速いレッテルを貼られているTさんは、より一層仕事がスピーディになる。
いつでも美しいPさんは、ますますキレイに磨きをかける。
つまりは、人はレッテルに貼られたように行動する傾向が見られるのです。
それがラベリング理論そのものであり、「ラベリング効果がある」と表現します。
ラベリングは、誰もが先ず家庭内で経験済みです。
小さな頃に、両親から何かと言われ続けてきた決まり文句はなかったでしょうか?
- 「あ~なんでアンタっていつもボサ~っとしてんの?」
- 「まったくいつもいつもダラダラしてるんだから!」
- 「もっとシャキッとしなさい!も~!」
ちなみに、わたしは言われた側です。笑
でもちょっと待ってください。
実はこれ、笑い話ではすまない深刻な事例なのです。
ラベリングは洗脳へ誘導する
- 「そうか、自分はボサ~っとしてる人間なんだ」
- 「自分はダラ助なんだ」
- 「自分て何やってもダメなのかなあ」
難しい心理学用語ではなく、私たちが実際に経験済みな事例だったんですね^^
一時期は劣等感の固まりになってしまった少年時代が、今となっては懐かしい思い出です。
いじめの根源はラベリング
ラベリング理論を理解する、一番身近な例は「いじめ」です。いじめの原因は、日頃のほんのちょっとした些細な事柄に端を発する事例が多いです。
- 「▲君は何日も風呂に入ってないらしい」
- 「●さんに近寄ると臭い」
- 「×さんはヤンキーだったらしい」
- 「どおりで仕事が遅い」
とにかくどうでもいい些細な事柄がきっかけとなって、レッテル貼りはどんどん加速していきます。
世の中で、うわさほど恐ろしいものはありません。
根も葉もないうわさとは、良く言い当てた表現です。
まったく根拠が無いにもかかわらず、いかにも真実であるかの如く広がってしまうのですから、当の本人はたまったものではありません。
ラベリング効果がもたらす功罪とは
ラベリング理論は、功罪ともに持ち合わせています。功は、褒めて育てる教育法です。
人間誰しも褒められれば嬉しいですし、気分が良いですよね。
「気分が良い」
これが私たち人間にとっては、たいへん重要なキーポイントです。
気分が良ければ、仕事も勉強もスムーズにこなせるようになります。
それは、褒められる事によって、脳内にβエンドルフィンと言われる快楽ホルモンが分泌されるからです。
それは脳科学上でも証明されています。
9回褒めて1回注意する、とにかく褒めまくって育てる。
この効果効用は、計り知れません。
いじめというレッテル貼り
ラベリングの罪は、これはもう言わずもがな、いじめです。本来ならば、レッテル貼りされたような要素は全く持ち合わせてないのに、
「おまえは××だ」とレッテル貼りされた事が原因で仲間から外れてしまう。
一人ぼっちになる。ヤル気は失せて欝(うつ)に陥る、この流れです。
ここでは、見逃してはいけない事があります。
それは、観察する行為です。
物事をいかに冷静かつ公平に観察するのかによって、その人の人格や品位までもが問われます。
逆に言うならば、偏見を持った目で見てはいけないという事です。
しっかり観察しているのか
レッテル貼りは、他人を見て(観察)評価を下す行為です。その観察内容がたとえ正しくなくても、観察結果でレッテルを貼ります。
そして、レッテル貼りされた評価はうわさがうわさを呼んで、一人歩きしてしまうのです。
有りもしないレッテルを貼られた当事者は、悲惨そのもの。
つまりは、観察眼があまりにもいい加減すぎる
仕事にしろ遊びにしろ、人の行動を見る場合には、よくよく注意深く観察すべきです。
先入観が入ってはダメ。
それは、偏見に満ちた結果しか招きません。
人は感情の生き物ですから、頭で考えている事がちょっとした動作やしぐさにも表れるものです。
たとえば、
浮かない表情をしていたら、何気なく声をかけてみる。
その、ほんの一声が相手の落ち込んだ気分をグッと和らげることも充分に有り得ます。
しっかりと相手を見ている(観察している)からこそ、キチンとした前向きな結果が得られるのです。
そこには、オーバーアクションも多大な心労もありません。
ただ、ほんの少しだけ気遣いと心配りをするだけなんです。
世の中の集合意識は【かなりいい加減】
世の中では、すぐに「ゆとり世代」とか「団塊世代」「オヤジ世代」、とにかく物事をひとくくりにして論じてしまう傾向が強いです。これらも、ラベリングのひとつです。
これは、大変公平性を欠いた考え方です。
偏見も甚だしい。
言うまでもなく、現実にはゆとり世代にも優秀な人はたくさんいます。
二言めには「最近の若いもんは・・」で片付けてしまうのは、褒められたものではありません。
ならば、団塊世代は皆が猛烈社員で突っ走りながら生きてきたのか??
・・もちろん、違いますよね。
要は、もっと慎重に観察しなければいけない場合が、あまりにも多いのです。
総じて、「結論を出すのが早すぎる場面が多い」とも言えるのではないでしょうか。
野村監督の観察眼が驚異的だった
世間を見渡す時、優れたひとかどの人は、まず間違いなく鋭く深い観察眼を持っています。野球の名監督が、その好事例です。
中でも、最近惜しまれて亡くなられた故野村監督は、もっとも素晴らしい観察眼のお手本です。
一見すれば、ベンチでゆっくりと戦況を眺めているだけに見えるかもしれません。
しかし野村監督の明晰なる 頭脳と観察眼は、知る人ぞ知る驚異的かつ天才的なレベルでした。
何と言っても、日本プロ野球界きっての頭脳明晰な逸材でしたから。
晩年は、テレビ出演などでお茶の間にもおなじみとなった、笑顔が優しいおじいちゃんでしたね^^
きっと彼岸の地で、私たちを見守ってくださることでしょう。