現在のネット回線は、光ケーブル網またはWiFiなどの無線インターネット通信・ケーブルテレビ回線を利用したCATVなどが主流となっています。
さかのぼって、ネットインフラが発展途上でダイヤルアップ接続でネットに繋いでいた2000年当初の時期には、今のようにスマホで動画を見るなど、まだ開発途上の段階でした。
「動画が見れる!」「テレビが見れる!」CMでは大々的にコマーシャルしていたものの・・
実際には回線自体がまだ貧弱なために、動画が途切れるわ途切れるわ・・・・
はっきり言って、ストレスハンパ無かったです。
そんな時代にあって、孫氏はビジネスの常識をまたもや打ち破ります。
【無料配布で大容量回線をいっきに拡大】
20年前のネット接続環境は、まだISDN回線が画期的と言われていた時代です。ソフトバンク傘下のヤフーBBは、高速大容量のインターネット回線いわゆるブロードバンドをいっきに全国に普及させるべく、奇策に打って出ました。
なんと、一台の原価数万円するADSLモデム機を無料で街頭配布し始めたのです。
当時はまだ、モデムが何なのかもよく分かっていなかった方がほとんどだったと思います。
かく言う自分も、タダならとにかくもらっちゃおうと、街頭で配布している場面に出くわしてチャッカリ頂きました。
ただほど高いものはありませんからね。
なぜ高速大容量が必要なのか
当時、国内のインターネット回線は先進国中で一番遅く、しかも世界一料金が高いと言う、貧弱なインフラ(基本的基盤)でしかありませんでした。国内通信のガリバーであるNTTは、『ネット回線の主流はISDN』との戦略を変えようとしない。
孫氏に言わせれば、「そんな古臭い事をやっているのは世界中で日本だけ」だったそうです。
日本は国内GDP(国内総生産)世界第2位という大国なのに、インターネットは有り得ないほど遅くて料金が世界一高いとは。
これでは、いくら何でも世界に対して恥ずかし過ぎる。
よし、ならばソフトバンクが世界一速くする!そして世界一安くする
そう彼は考えたのです。
そしてもう一つ、これはもう単純明快で、データが流れる回線が太くて広いほど、たくさんのデータが流れる事になります。
ブロードバンドとは直訳すると、『広い幅』との意味です。
片側1車線の一般道路と片側だけで4車線ある高速道路と比べると、どちらが交通量がスムーズに流れるかは明白ですね。
- 通信速度が速い
- ⇒一定時間内にたくさんのデータ量を送ることが出来る
- ⇒データ量が大きい動画などもスムーズに流れる
- ⇒動画が途切れることなく快適に視聴できる!
こうなります。
要するに、ストレス無くネットを楽しめるわけです。
戦略は『損して得取れ』
ここでも孫正義氏は、『損して得取れ戦略』で他社に先駆けて大勝負に出ました。無料配布ですから、当然莫大な金額の赤字を計上する事になります。
毎年1,000億円の赤字が4年間続いたのですから、これはもう驚異的な数字です。
しかも当時はネットバブルが弾けた直後で、ソフトバンクの時価総額は2兆円からいっきに2,000億円まで暴落した有様。
かくも窮地に追い込まれた中で、国内の巨大インフラ企業であるNTTに真正面から闘いを挑んだわけです。
孫氏は、ADSLモデムをいっきに広め、国内ネットインフラを高速大容量/ブロードバンド環境に大至急転換させる必要があると考えたのです。
かくして数年後にヤフーBBは、当初の大幅赤字から一転し、黒字決算に回復しています。
彼は、今まででこの時が一番苦しかったと述懐しています。
ソフトバンクは破綻するのではないかと証券業界ではもっぱらのウワサになりましたが、孫氏自身も本当にそう不安になったそうです。
企業存続さえも危ぶまれたこの時期にモデム無料配布ですから、経営の常識からは完全に逸脱とも言えます。
顧客を引き寄せるためのツールとしてクーポンの類いを配る事は一般的ですが、一台数万円もする商品をタダで配布する・・これは前例がない。
そんな孫氏の奇想天外なる発想、実は彼の父親にルーツがあったようです。
【商才に優れていた孫正義氏の父親】
氏の父親がとある日に、市内を車で走っていたところ、ある民家に「買い手求みます」との貼り紙があったそうです。気になって近づくと、家主の年老いた女性が出てきて「誰か買ってくれるといいんですが・・」と、ため息を漏らします。
哀れに思った父は、何の当ても無いまま勢いで賃貸契約を結んでしまいます。
さてここからが父の腕の見せ所で、古ぼけたボロボロの民家を改装し、山小屋風な喫茶店を開店します。
でもこんな立地の悪い場所に、わざわざコーヒーなど飲みに来る客などいるはずもありません。
そこで一計を案じ、無料チケットを町中にばらまいたのです。
するとドンドン客足がのびてきた。
来店客にはさらに無料券を配る⇒今度はその家族や知人友人が来店する。
次第にコーヒーだけではなく、食事をする客も出てきた。
そして、このボロ民家でしかなかった喫茶店は、市内の繁盛店にまで成長したのです!
損して得取れ戦略そのものですね。
ルーツは父親の奇抜なアイデアにあった
無料で配ってどんどん世間に対して認知してもらう。その間の赤字は厭わない、目をつむる。これって、どこかで見たような気がしませんか。。
・・・そうです。
先ほどの、ヤフーBBの無料モデム配布ですね。
孫正義氏は、父親譲りの奇抜な商才を持って、タダで配る奇策に出たわけです。
そしてこの戦略が功をなして、その後は他社もブロードバンド注力に追随。
果たして、国内は高速大容量のネット環境構築が急務との環境へと繋がっていったのです。
【凡人には思いつかない超人的野望】
そんな破天荒とも言えるチャレンジを次々に成し得る彼ですが、40年前の創業時はバイト社員が2人。それでも代表取締役たる孫氏は、アルバイト2人を前に堂々1時間にわたる大演説をぶち上げたと言います。
ソフトバンク創業の志と理念そして展望を、確固たる意思を持って語ったのです。
その中で、こんな例え話をしています。
「豆腐を数えるように、一丁(兆)、二丁(兆)と数えるような会社にする。」
それを聞いたバイト社員は心底呆れ果てて、一週間後には会社を去ったようです。
確かに、その当時まさかここまで急成長するとは誰も予想出来なかったでしょう。
「5,000億円などは、物の数ではない」と豪語したほどの超人的野望ですから。
恐るべし孫正義氏