やる気が出ない時、潜在意識内では何が起こっているのか?

投稿者: | 2019-12-19
このテーマは、かなり深いです。

何かを実現させたくて○○に取り組み始めたが、いっこうに進めていない。

何からやっていいのか分からない。

本当にこのままやっていて正しいのかどうかが判断できない等々。


あなたは、そうではないですか?


どんな状況であろうが今が完璧

人は基本的にマイナス傾向に物事を考えてしまう傾向にある生き物です。

なのでマイナス状況に陥ると、もうダメだ、自分は何をやってもダメなんだ的にプチうつとも言える心理状態になります。


でも。。。全然それでも構いません。

気にする事なんかか、まったく無いんです。

だいじょうぶです。

大丈夫どころか、そのままで完璧なんです。


・・・え、完璧って。。

何にもやってないのに、もうダメだなんて落ち込んでるのに、一体なにが完璧なの?

そんなの完璧どころか完全な落ちこぼれでしょ??
大抵の場合、こうなると思います。


でも、それさえも完璧なのです。

よく分からないですね。


もう少し説明すると。。

人はそもそも悩むために産まれてきたような存在です。

私は悩んだことなんか一度もない!みたいな人、この世の中にはいません。


やる気が出ない時にはどうするのか

根っからの超楽天家は、ごくごく少数ながらいるかも知れません。

でもそれは超例外として、やはり人は悩む存在なのです。


そしてここからが肝心なところですが、そんなやる気が出ない時にどうするのがベストなのか?
いかにして無気力な脱力感から脱出するのか?

その方法は存在します。


答えは、極めて単純明快です。

自分のやりたい事をやる。
これです。


仕事がしたくなければ、意を決して休みましょう。

それは、ダラケテイルのでも怠慢でも何でもないです。

スマホから聞こえてくる、上司の渋い受け答えを気にする事はありません。


あなたの魂が、今日は身体も心も休ませてあげようよ、と叫んでいるのです。

魂の見えざるサインと言っていいです。


それを見逃さずに実行したあなた、思い切って「今日は休もう」と意を決して会社へ電話したあなたは勇敢です。
冗談ではありません。

本当に勇気があります。

だって、なかなか出来ないことですから。


何でもいいからとにかく動いてみる

深いため息を付きながら「やっぱり行くか」と重い腰をあげて、一日を怠惰に過ごす会社生活、それも美しいと思います。

私はそれを否定しません。

ただ、心の悲鳴をほんのちょっとで構わないので聴いてあげて下さい。

心と身体をちょっぴりでも休めさせてあげて欲しいと思います。


そしてもう一つ。「自分の好きな事をやる?そんなもの無いよ。」と言う方へ向けて。

何も無いなら、ほんのちょっとだけ視点をそらして、今までにやりたかった事や好きだったこと、何か一つはあると思います。


思い出してみて下さい。何でもいいのです。

あの映画面白そうだなあとか、あの喫茶店なんだか気になるなあとか、あの洋服いいなあとか、何でもいいんです。


ぶらりで構わないので、とりあえず映画館へ足を運んでみましょう。

気になるカフェに出向きましょう。

そしてお店に入って、ゆったりコーヒーでも飲んでみてください。

「バカバカしい」とおっしゃらずに^^


それは魂のシナリオどおり過ごしている

自分の中で、ほんの少しだけでも、何かしら意識が変わります。

自分で気付かなくても、潜在意識の中では変わっているのです。

少なくとも、あなたはダメな人間なんかじゃ絶対にありません。


ぶらっとあてもなく散歩するもよし。本当にあてもなく電車やバスに乗ってみるも良しです。

とにかく動いてみましょう。

それも億劫なら、一日中寝て過ごすも勿論ありです。

身体をゆったり休ませてあげて、こころを穏やかにリフレッシュさせるのも充分に効果的です。

先のことを思い悩むあまりに、今ここの瞬間を台無しにすることほとバカバカしいことはありません。


今です。

いまこの瞬間~10秒後の自分~1分後の自分~1時間後の自分は、今この瞬間の自分とは、まったくの別人です。

この先の自分は、一体どうなっていくのか?

それは、魂のシナリオによってもう既に決められています。


潜在意識は常にあなたの命令に従う

『やる気が出ない時、潜在意識内では何が起こっているのか?』

このタイトルの答えは、こうです。

常にあなたの意識下の命令に従っているのです。


やる気が出ない時、潜在意識では「やる気が出ない」と命じています。

それが全てです。

善悪の問題ではありません。


あなたは、もともと素晴らしい完璧な神の子なのです。
それが全ての結論であり根拠なのです。


念のため付け加えるならば、これは宗教ではありません。

断じて宗教ではないです。


時間空間に生きる三次元の世界の「真実」だと考えます。