言わずと知れた、世界の長者番付ベスト10にランクインするほどの、ITビジネス業界の超大御所です。
インターネットバブルと騒がれた時代には、かのビル・ゲイツ氏を抜いて世界一の資産額となった瞬間もありました。
彼が今までに発言してきた言葉からは、私たち凡人が学ぶべきところ満載です。
今回は、特に私が心底から惚れ込んでいる名言を、彼が幼少の頃の苦労話しも交えてご紹介しましょう。
事業を興す人が持つべき重要ポイントとは
1990年代後半から急激に加速した情報革命、いわゆるインターネット革命のカリスマかつ圧倒的存在感を放ち続けた寵児・孫正義氏。
人生はビジョンだ、理念なき者は去れ・・・書店などで自己啓発やビジネス関連を読むと、どの本も一見格好が良くて難しい言葉の羅列ばかりです。
潜在意識を活用して成功イメージを焼き付ける、必ず出来ると信じる、潜在意識に焼き付ければ成功する。
どれもが本当に大切なことばかりなのは、よく分かるのです。
頭では理解出来る。
ただ、文字面(もじづら)だけで自分の奥底にズシリと響いてくるものがないんですね。
少なくとも、私はそうです。
しかし、孫正義氏はまったく違います。
異次元と言っても過言ではない。
幼い頃の環境が類まれなる反骨精神を生む
氏の幼少期は、戦後からまだ10数年しか経過していない昭和の時代です。人に言うも憚る(はばかる)ほどの貧困と苦労は、孫氏の著書そして講演の動画でうかがい知る事が出来ます。
幼少の頃は、家の番地さえないボロ小屋に豚と一緒に住むような貧困です。
どうしようもないほど貧乏だったと言います。
そこから生まれた逆境に負けない反骨精神と生まれ持った商才で、世界を股にかけるIT業界のカリスマにまで昇りつめた苦労人なのです。
そんな彼は高校在学時に、アメリカへ留学する希望を家族親族へ伝えます。
当然に家族一同からの猛反対を食らいますが、パチンコ店経営などで財を成した父だけは黙って聞いていたそうです。
小さな頃から既に商才の片鱗を見せていた我が子(正義)に一目を置いていた父は、まだ小学生である正義に対して事あるごとに事業の相談事をしてアドバイスを受けたと言います。
講演の動画を見ると、話題が小さい頃の家族の想い出話しに至ると、孫氏はグッと感情が込み上げ思わず涙する場面があります。
人間孫正義そのものです↓
溢れんばかりの才能にバイト社員があきれた
彼はカリフォルニア大学卒業後に帰国、23歳でユニソンワールドと言う会社を起業します。会社を興して意気揚々な孫氏はアルバイト社員2人を前に、みかん箱の上で延々1時間にわたって自社の理念、志、今後の展望について熱く語り続けたエピソードは有名です。
それを聞いてつくずく呆れ果てたバイト社員は、1週間後には会社を去ったそうです。
「完全に狂ってる」
「頭おかしいんじゃないか」
「こんな大法螺吹き(ほらふき)話しにならない」
もし私がその立場なら、同じようにすぐ辞めたかもしれません。
いや、速攻で止めたでしょう。
だって延々1時間の大演説・・・・相当に長いですよ笑
孫正義氏の頭の中には、既に明確な理念・志・ビジョン(展望)が明確に描かれていたに違い有りません。
だからこその1時間に渡る大演説になったのですね。
下記は、起業当時を語る彼です。
大震災への巨額寄付に見る人間愛
彼の志には、すごく温かい人に対する愛情を感じます。それは、東日本大震災での善意の寄付です。
孫正義氏は、被災された方々への支援金と復興資金として、私財から100億円もの寄付をしています。
また、孫氏自身が受け取る報酬の全額を震災孤児への支援金に当てると発表しました。
さらには、自ら避難所を訪れて被災者の方々へ携帯電話を無料で貸し出し、震災孤児に対して18歳まで通信料を完全無料とする旨を発表しています。
一口に100億円と言うものの、とてつもない大金ですね。
一つの会社として年商100億でもすばらしい数値なのに、そんな大金をサラリと寄付!
孫氏の功績は、まさに偉大なる善意です。
「もう幸せで仕方がない」と豪語する天才事業家
インターネット革命の寵児と持てはやされ、華麗なる一時代を築いた孫正義氏。次なるターゲットは、既に明確です。
そう、AI革命ですね。AIこそが、未来を担う中核となる。
孫氏の言うところの三番目に重要な【戦略】。
孫氏自身がいま一番やるべき本流である戦略が、AI革命の大本命であるこれ。
【ソフトバンク・ビジョン・ファンド】と言います。
これは、投資する企業をAI(人工知能)だけに特化して約90社へ巨額の投資を行っている投資ファンドです。
AIの得意分野は、考える事ではない。そう孫正義氏は断言しています。
物事を予測・推測していくのが得意なのだ。
やがてAIに予測を任せる時代が来る。
天下取りの大チャンスが今まさに訪れていて、こう話しています。
- 『もう幸せでしょうがない』
- 『毎日が楽しくて仕方がない』