ヘレン・ケラーの名言+奇跡の人サリバン先生が後世に残した魂の財産

投稿者: | 2020-03-10
ヘレン・ケラーと言えば、三重苦を克服した奇跡の偉人と言う人物像が一般的だと思います。
私も、そのような知識しかありませんでした。

ところが、よくよく調べてみると筆舌には尽くしがたい程の感動的なエピソードがたくさんある事を知り、これは当ブログでシェアしなければと強く思いました。

その中で、ヘレンを50年間の長きに渡り献身的な家庭教師として、良き友人として支え続けた奇跡の家庭教師サリバン女史の高潔な人格にも深く心を打たれました。

そんな彼女たちが後世に残してくれた至言は、人類の財産と言って過言ではありません。

ヘレン・ケラー氏の名言から抜粋

『自分でこんな人間だと思ってしまえば、それだけの人間にしかなれない』

『探しているものは外になく、自身の中にあるものです』

楽観主義は、もの事を達成へと導く信仰です。希望、そして確信が無ければ、何事も成し得ることは出来ないのです』

『偉大で崇高な仕事を成し遂げることを、私は心から望んでいる。

けれども、私の一番の務めは、ささいな仕事をあたかも偉大で崇高であるかのごとく成し遂げること』

『私は、自分の障害を神に感謝しています。

なぜならば、私が自分を見出し、生涯の仕事、そして神を見つける事が出来たのも、この障害を通してだったから』

『ある時代の異端が、次の時代の正統になるのです』

どの名言を見ても、誠に持って実に奥深いです。

ヘレンだからこそ表現し得る、骨身に染み渡る深く崇高な世界が感じられます。

背筋がピンと張り詰めるような、清々しさを感じます。

ヘレンの名教師サリバン氏の名言

『失敗したら、初めからやり直せばいいの。

そのたびに、あなたは強くなれるのだから。』

『喜びは、自分を忘れる事にあるのよ。』

『どんなささやかな成功も、他人の目には触れない挫折や苦難の道を経ているものなの』

『人の唇から漏れる微笑みを、自分の幸せと感じられる人間に私はなりたい』

【ヘレンケラー氏の生涯を振り返る】

奇跡の家庭教師と運命の出会い

ヘレン・アダムス・ケラー(1880年~1968年)は、アメリカ合衆国に生まれ生後半年には片言を話せるほどの健常者でした。

それが1歳半の時に高熱を発症した病気が原因となり、命は取り留めたものの視力と聴力、そして話す事も出来なくなってしまいます。

ご両親にしてみれば、しつけを行う術(すべ)を失ったも同然です。
最愛の娘が、「見えない」「聞こえない」「話せない」のですから。

その後のヘレンは、しつけを受けられない身体と環境のため、とてもわがままに育ったそうです。それも無理はありませんね。


ヘレンのご両親は、東奔西走の末に電話の発明者で高名なアレキサンダー・グラハム・ベル氏を訪問、彼を通して盲学校の校長先生へ手紙を出してもらい家庭教師を探すよう依頼します。

そこで紹介された人物こそが、のちに『奇跡の人』と称賛されたヘレンの家庭教師であるアンニー・サリバン氏なのです。


サリバンさんは、ヘレンケラー氏を歴史に刻まれる偉大な人格者へ育て上げた大功労者です。

ヘレンの人並み外れた驚異の努力と才能もさることながら、サリバンもまた「奇跡の人」にふさわしい人格者だったのです。


日本では、ヘレンとサリバン先生の繋がりを映画化した「奇跡の人」の影響で、『奇跡の人=ヘレンケラー』と言った知識が広まったようです。
実は、映画化された「奇跡の人」はサリバン先生だったのです。


水の存在を知ったヘレンの衝撃

サリバン自身もまた、視力が不自由(弱視)であるにもかかわらず盲学校を優秀な成績で卒業した才媛で、自身の経験を生かしてヘレンに対してまさに献身的に尽くします。

ヘレンのわがままぶりを見たサリバン先生は、先ずしつけを教えるために「言葉」を教えます。

しかしながら、教える相手(ヘレンケラー)は何も見えず何も聞こえず話せない子供です。

そこでサリバン氏は、指文字を使って我慢強く辛抱強く教えていきました。


指文字とは言っても、ヘレンはサリバン先生が見えないのですから手話も不可能です。

サリバンはヘレンの手のひらや顔などに指で文字をなぞります。 この方法が、点字で識別するやり方よりも分かりやすく優れた方法である事をサリバン先生は心得ていたのです。

この気が遠くなるような作業の連続は、到底凡人の域をはるかに超えています。

忍耐をはるかに超えた日々の積み重ねこそが、後の偉大なるヘレン・ケラーを育てたのです。

ヘレンもサリバン先生も、ともに超人的な努力家だったのですね。


こんな実話が残されています。

ヘレンに水を教えるために、サリバン先生は指文字で「WATER」と手のひらになぞります。
でもヘレンは、それが何かを理解出来ません。だって見えないのですから。

そこでサリバン先生は、表に出て井戸へ行き、ヘレンが持つコップに井戸水をジゃーっと入れます。

ヘレンは衝撃的を持って驚くと共に、「おお!これが水!」と感覚で理解したそうです。


それ以降、ヘレンはサリバン先生の教えに素直に従って知識をどんどん吸収したそうです。

ヘレンケラーを語る時、この水との出会いのエピソードはつとに有名です。

4ヶ国語をマスター非凡なる努力家

ヘレンの才能が類いまれであった事実は、艱難辛苦の末に現在のハーバード大学に入学した事でも明らかです。

また、三重苦のハンデを背負いつつ母国語を習得するだけでも、想像を超える苦難の連続に違いありません。

しかしヘレンはそれに留まらず、外国語はドイツ語・フランス語・ラテン語・ギリシャ語をマスターしたそうです。

「特にラテン語が得意だった」と言うのですから、まさにヘレンケラー氏恐るべしですね。


そして特筆すべきが、サリバン先生と共に忍耐強い発声訓練を続ける事によって、ヘレンは声の抑揚は細々ながらも『話す事が出来るようになった』そうです。

またヘレンは、視覚と聴覚を失っている事から、臭いを嗅ぎ分ける臭覚が鋭く発達して、ヘレンと会う人をその臭いによって判別したと言います。

私は、浅学恥ずかしながらこの事実を知りませんでした。


人生ただ一度の恋

ヘレンは一時期に秘書として遣えたピーター・フェイガンにプロポーズされ、婚約するまでいっています。

ついにヘレンは、一人の女性として始めて恋愛を経験したのです。

ところが、ヘレンの家族からは猛反対にあい、さらにはヘレンの母は労働運動に熱心だったピーターをひどく嫌ったようです。

とある日、母はピーターに銃を向けて「ヘレンに近づくな、殺すぞ」と追い詰めたのです。
さすがのピーターもあきらめざるを得えず、秘書役も解雇されたようです。

ヘレンとすれば、生涯ただ一度きりの甘い恋の時期を過ごしたわけです。
その落胆は、ここで語るまでもありません。


しかしながら、婚約者へ銃を向けた母の心境もまた、理解出来るように思われます。

好いた惚れただけで結婚生活できるほどヘレンとの現実は甘くないんだ、消え去れ!」
そんな心境だったのかも知れません。

ヘレンの落胆は言うまでもありませんが、ご両親もまた本当に辛い現実であったと察する事ができます。

人生に「もしも」はご法度だが

ただ、もしそのままヘレンがピーターと結婚して子を授かったならば、ヘレンの人生はまた違った様相にもなったのかも知れないと思います。

母である喜び、子を育てる喜びを身を持って経験しながら、ヘレンの人格はさらにも増して慈愛に満ち溢れた存在になったのではなかろうかと思うのです。

まるでマザーテレサのごとき、聖母ヘレン。


言うまでもなく、子育ては苦労困難の連続になったでしょう。

けれども、ヘレンほどの努力家かつ人格者ならば、それすらも楽しみながら子育てが出来たのではないでしょうか。
もちろん、サリバン先生の愛に溢れたサポートの元での仮定です。

サリバン先生の旅立ち

いつの日もヘレンへの献身的援助と介添えを怠らなかったサリバン先生は、遂には70歳でその「奇跡の人である生涯」を終えています。

今まさに彼岸へ旅立とうとしている臨終の場で、50年間いつもいつも深い愛情と慈愛を持って寄り添ってくれたサリバン先生の手を握り締めるヘレン。

たとえサリバン先生の声が聞こえなくとも、息遣いが聞こえなくても、指文字で人生すべてを教えてくれた、とてつもなく深い愛情はしっかりとヘレンに伝わります。
ヘレンそしてサリバン先生の心境いかばかりかは、もはや涙なしには語れません。


ヘレンが8歳のとき初めて自宅を訪問してきたサリバン先生は、まだ若干22歳。

そんなうら若き年頃の娘が、それ以降来る日も来る日も三重苦ヘレンに深い愛情で親身に寄り添い、指文字で「言葉」を教え、指文字で「勉強」を教え、指文字で「世の中」を教えたのです。

コツコツ、コツコツ

ひとつづつ、またひとつづつ
何と言う気が遠くなるような作業でしょう!

それに留まらず、さらに指文字で深遠なる「哲学」や「文学」「思想」を伝え、「自然」や「音楽」「芸術」をヘレンに伝えた、かくも愛情と慈愛に満ち溢れた高潔なる女性がサリバン女史なのです。

その最愛なる人生の大恩人が、今まさに目の前で息を引き取ろうとしている。

ヘレンがしっかりと両手を握り締めるサリバン先生の身体はしかし、次第に冷たくなっていきます。
涙以外に、一体何があろうものでしょうか。

秋も深まろうとしている10月20日、サリバン女史は遥かなる彼岸の地へ旅立ったそうです。

今わたしもパソコンを打ちながら涙しています。
もはや涙腺崩壊です。

偉大なるヘレンケラー氏とサリバン先生

その数年後、ヘレン87歳の6月に、歴史に名を刻んだ彼女は自宅で静かに息を引き取りました。

葬儀はワシントン大聖堂で執り行われ、その地下納骨堂内にはヘレンとサリバン先生が共に今も眠っています。


かくも偉大なる業績と未来永劫に伝えられる高潔崇高な人格をもって、アメリカ政府より大統領自由勲章が与えられ、日本政府からは勲一等瑞宝章が叙勲されています。


ヘレンケラーとサリバン先生の偉大なる魂は、この地球が存在する限り決して消え去ることはありません。

こころの奥底から、尊敬と慈愛の念を込めて「ありがとうございます」と伝えたい心境です。