その中でも一番多く見かけるのは、収入の一割または数パーセントを寄付や募金で人に与えよう、そうすれば倍あるいは数倍になって戻ってくるのだ」と言う論法です。
そんなものかなあと半信半疑な気持ちで時は過ぎて・・・とある日に何気なく手に取った啓発本に大いに共感!
「これは実践するに値するぞ、よしやってみよう^^」と俄然その気にさせてくれる本に出会ったのです。
収入の一割または数%を他人様へ与える
それによれば、上記に記したように『収入の一割を人に与えなさい。または数%でいいので他人へ与えなさい』と言うのです。そのやり方がまた風変わりで、例えば商品が陳列してある洋服のポケットや積み上げ商品の間に500円硬貨などをそっと入れておくのです。
「えっ?」と思いますよね。
だって、どこの誰とも分からない赤の他人が、その500円硬貨を受けとる訳ですから。
お金をそっと忍ばせておく?
う~~ん。。そんな事で本当に倍になって戻ってくるのだろうか。。。
誰しもそう思います。
・・と言うより、それ以前の問題で、誰もこんな変な行動起こしません。。
だって洋服がズラリと並んでいる中のひとつのポケットに、硬貨をそっと忍ばせておくのですよ。
偶然にもそれを手にした人は、当然驚きます。かなりビックリするでしょうね。
気味が悪いからそのまま戻す人もいるでしょうし、ラッキーとばかりにポケットにしまう人ももちろんいるでしょう。
その善悪は判断できない、人それぞれの判断です。
とにかく数ヶ月間ひたすら続けた
私はそれを数ヶ月間、毎週週末になると場所を替え時を変えながら、とにかく500円硬貨をあちらこちらに忍ばせました。そして硬貨には事務処理で使う小さな付箋を貼り付けて『どうか幸せが訪れますように』とメモ書きしました。
それともうひとつ、足長育英会への善意募金送金を毎月実践しました。
恵まれない環境下の子供たちへの寄付をするのです。
当時の私の月収が手取り25万程度でしたから、その約一割として2万円くらいの寄付を月間数回に分けて送金しました。
当時は愛娘2人が共に県外の大学へ通学して一人暮らしでしたから、家計は決して楽ではありませんでした。
それどころか、毎月の仕送りが相当に苦しかったにもかかわらずです。
もしも妻にこの行動がバレていたなら、大ゲンカどころか家出して実家へ戻ったと思います。
それだけならまだしも、離婚まで進展したでしょう。
しかしここは、ダマサレタとでも思って『損して得取れ』の世界でとにかく続けました。
結局は苦しみもがく必要があった
そしてその結果はと言うと・・目に見えた効果は何も表れず、それどころか仕事がうまく行かず鬱状態に陥り、突発的に中途退職してしまいました。
一般常識から見れば、甚だ理解に苦しむような奇異な行動に出た代償を受けて、いよいよ金銭的にも精神的にも苦境に自らを追い込んでしまったのです。
一般的に見るならば、相当なお人よし・・・と言うより、完全にイカレテいるアホでしょう。
でもそれは、自分自身も充分に自覚していました。
とにかく私は、どんな突飛でもない方法をとろうとも、とにもかくにも成功者になって金銭的に豊かになりたかったのです。
その当時の結果は、大失敗に終わったように見えますし、もがいて苦しんで苦境の奈落に落ち込みました。
今思えば、それは『もがく必要があった』のです。
今はそう断言出来ます。魂のシナリオどおり
それは魂のシナリオであり、全てはそれでよかったのです。でも、その当時の自分にはそれが見えなかった。
「もうダメだ」と苦しみ悩む事を魂は望んでいたのであって、それで良かったのです。
一度、とことんまで苦しみ抜く必要があったわけです。
人生は山有り谷有り
そしてその後は、お金の苦労から開放されるどころか、ますます苦境に追い込まれます。その結果は、やむなく製造工場現場の夜勤作業に就職。冬場の寒さの中、だだっぴろい工場内で自分一人だけ黙々と重労働が続きます。お金を捻出するためには、そんな過酷な試練を受け入れざるを得ませんでした。
こらがまた真冬の時期だったので、気候も厳しく心身ともに疲れ果てました。毎日、逃げ出したくなる自分を慰めながら深夜に出かけたものです。
でも、後で振り返ると、「とても良い経験をしたなあ」とも思うのです。
もちろんもう二度とはやりたくない仕事ではありますが。
人生経験の一ページには、こんなエピソードもありかもと思うわけです。
要するに、長期的に見るならば自分にプラスに働いたのです。
結局この職場は深夜の仕事中の事故による怪我で労災認定、3月末で退職となりました。
募金の継続から見えてきたこと
その後は、転職を重ねて目立って与えるような行動とは言えないかもですが、最近は毎日一度は立ち寄るコンビニのレジで、10円程度の募金をカウンター募金箱に必ず入れるようにしています。大抵の場合、おつりが数円戻ってきますよね。
買物するときは、そのおつりをそのまま募金箱に投入します。
ちなみにその時のコンビニ店員の対応を、必ず見て参考にします。
最近良く行くセブンの場合、かわいい女性店員さんが必ず「有難うございます」と丁寧にお礼を言ってくれます。
親子なのかどうか知りませんが、中年のキレイな女性店員さんも必ずお礼を言ってくれます。
軽く会釈をしながら「いつも有難うございます」と言った具合です。
これって、もの凄く大切なことです。
簡単なようで、実はなかなか出来る事ではありません。
その証拠に、他のコンビニで小銭を投入しても何も言わないコンビニの方が圧倒的に多いです。
学生風のバイト店員なら仕方ありません、経験がありませんから。
言ってほしいとも思いません。
感謝の気持ちは口から出すべき
しかし、何十年も働いてきたと思われる年齢の店員ならば、たとえそればアルバイトであろうが、有難うございますの一言はあってしかるべきだと思うのです。決して、お礼を言われたいから募金するのではないですよ。そうではなくて、他人様の善意を受けたならば、お礼の一言が自然に出てくるようでなければ大人とは言えないそう言う事なのです。
電車の中や通りすがりの他人様に、自分の落し物を拾ってくれて声かけしてくれたなら、驚きと共に必ずありがとうとか、すみませんとか出てくるのが人間と言うものです。
それと同じです。
人の善意ほど、キレイで美しくて心にしみるものはありません。
人の美しさは、心から滲み出てくるものだと私は確信しています。
それは、顔やなりが均整が取れているとか、ブランド物に身を包んでいるからとか、流行に敏感だとか、そんな低次元なものではありません。
それは極めて次元が低いです。
テレビで芸能人やお笑いタレントが他愛もない事をオモシロ可笑しく演じてその場を盛り上げている、その程度のお話しではないです。
それを低レベルとは言いませんが、しょせん娯楽であってその程度なレベルでしかないのです。
もっと高次な自分から見て「ああ、なんて美しいんだ」とため息が出るような世界、人の優しさに触れてホッと心が癒される瞬間、そんなレベルのお話しなのです。
最後までおつきあい頂きまして、ありがとうございました。