【偉人の名言】チャップリンが後世に残した伝説の名演説が超鮮烈

投稿者: | 2020-01-21
20世紀映画史に燦然と輝く名俳優である、チャールズ・チャップリン。

まったく興味が無いような方でも、名前だけなら聞いた事があるでしょう。

喜劇王と呼ばれ、往時のハリウッド映画界の大スターであった歴史的な映画人であり名俳優・名監督です。


時は1940年、かのドイツ軍独裁者アドルフ・ヒトラーを強烈に風刺批判した映画こそ、今回ご紹介する『独裁者』

この名画は、チャップリンの生涯と通じて映画興行的に最も成功を収めた傑作として大変有名です。


銀幕の中で彼自身が主演したラストシーンの一場面が、伝説的な名場面となって今も脈々と語り継がれているのです。

もっとも感動的、かつ人間愛と慈愛に満ち溢れた内容です。


現代にも通用する伝説的な名演説

チャップリンと言えば無声映画時代の名優で、オモシロおかしい喜劇を演じた人物との印象が一般的と思います。

しかし、この映画では床屋の主人に扮した彼は、ヒトラーとそっくりな鼻の下の四角い口ヒゲが災いして、物語中の重要人物と入れ替わってしまうと言うコミカルな中にもシリアスなストーリー仕立てです。

そのワンシーンの奥深く感動的な演説は、喜劇王チャップリンのイメージを根底から覆すほど強烈なメッセージを解き放っています。


下記が日本語訳です。

多少長めですが、さっと流す程度でも構いませんので、最後までお読み下さい。


申し訳ないが、私は皇帝になどなりたくない。皇帝になるなど、私のやりたい事ではない。誰に向けても支配や征服などしたくない。

出来ることなら、皆を助けたい。ユダヤ人にしろ、ユダヤ人以外にしろ、黒人にしろ、白人にしろ皆を。

私たちは皆、お互い助け合いたいと思っている。人間とはそういうものだ。
私たちは、他人の不幸ではなく、お互いの幸せによって生きたいのだ。

私たちは、憎み合ったり、軽蔑し合ったりしたくない。この世界には皆それぞれに場所がある。大地は豊かで、皆に恵みを与えてくれる。

人生は自由で美しい。人生は自由で美しいはずなのに、私たちは道を失ってしまった。
貪欲は人の魂を毒し、憎しみを込めて世界を閉鎖したのだ。
貪欲が、私たちを軍隊のごとく悲劇と惨劇へと追いやったのだ。


私たちはスピードを開発したが、自分自身を孤立させた。富を生むはずの機械は、私たちに貧困を作り上げた。
知識は私たちを皮肉にした。知恵は私たちを非情に、冷酷にした。
私たちは考え過ぎて、感じる事が出来なくなってしまった。

機械が増えていくほどに、私たちには人類愛が必要なのだ。賢さが増すほどに、優しさ、そして思いやりが必要なのだ。
そういう感性が無ければ、人生は暴力で満ち、全てを失ってしまう。

飛行機やラジオが、私たちお互いの距離を縮めることが出来るようになった。このような発明の本質は、人間の良心に呼びかけ、私たちがひとつになることを呼びかける事にある。


今も、私の声は世界中の何百万の人々のもとに届いている。何百万もの絶望した男性たち、小さな子供たちのもとに。人々を拷問し、投獄する組織の犠牲者のもとに。


私の声が聞こえている人達に言う。
「絶望してはいけない。」
いま私たちに覆いかぶさる不幸は、貪欲が通過しているだけであり、人間の進歩を恐れる人達の憎悪にすぎないのだ。

憎しみは消え去り、独裁者たちは死に絶えるだろう。人々から奪い取った権力は、人々のもとに返されるだろう。
人間は永遠に生きることが出来ないのだから、決して自由が滅びることはない。


兵士たちよ。獣たちに身をまかせてはいけない。君たちを軽蔑し、奴隷にし、生活を管理する。君たちが何をすべきか、考えや感じ方まで指図する。
君たちを鍛え食事を制限する者たちは、家畜として、砲丸のエサとして扱うのだ。
こんな自然に反する者たちに身を託してはいけない。機械のあたまを持ち、機械の心を持つ者たちなどに。


君たちは機械じゃない。君たちは家畜じゃない。
君たちは人間なのだ。
君たちは、心に人類愛を持った人間だ。

憎んではいけない。愛されない者が憎むのだ。


兵士よ。奴隷になるために闘うな。
自由のために闘え。

『ルカによる福音書』の17章に、「神の国は人間の中にある」と書かれている。ひとりの人ではなく、一部の人でもない。君達すべての中にあるんだ。君たちの中に。

君達は力を持っているのだ。
機械を作り上げる力、幸福を作る力を持っているのだ。君たち、人々が持つ力が、人生を自由に、美しくする力が。人生を素晴らしい冒険にする力が。


民主主義の名のもとに、その力を使おうではないか。
皆で団結しよう。
新しい世界のために闘おう。皆に雇用の機会を与えてくれ、君たちに未来を与え、老人に安定を与えてくれる世界のために。

こういった約束をして、獣たちも権力を手にしたのだ。
しかし、奴らは嘘だった。奴らは約束を果たさない。これからも果たしはしない。
独裁者たちは自分だけを自由にし、人々を奴隷にしたのだ。


さあ、この約束を実現させるために闘おう!
闘おう。
世界を自由にするために。国境のバリアを取り除くために。

貪欲を失くし、嫌悪と苦難を失くすために。
理性のある世界のために闘おう。
科学と進歩が全ての人たちの幸福へと導いくような世界のために。

兵士たちよ。
民主主義の名のもとに、団結しよう!


下記が、その名場面です。

四角い口ヒゲがヒトラーの雰囲気を出していて、シリアスです。




日本国内でも大ヒットし国民の心をゆさぶる

この映画で、チャップリンは脚本から製作、監督そして自ら主演を演じています。

第二次世界大戦直前の1940年にアメリカで公開されたこの映画は、当時の日本はドイツと同名関係にあったために上映禁止されました。

そして終戦から15年経過した1960年に、ようやく国内で初公開されています。


戦争以前の同盟国云々とは裏腹に、公開と共にヒットを記録してその年の興行収入は4位に輝き、1億6800万円を稼いだと言います。

まさに、驚異的な数値ですね。


金言は未来永劫に生きる

日本語訳の中でも、わたし個人的に印象深い箇所を赤字にしています。

そのどれもが、80年もの年月を経た今現在でもまったく輝きを失っていないのはまさに驚異的としか言いようが有りません。

そこはチャップリンが、歴史に残る名優と言われる所以(ゆえん)だと思います。


この映画の背景にある、独裁者が跋扈した暗黒の時代における自由と、現代のそうあって当たり前な自由とは、まったく意味合いが違う。

現代は、個人の自由が過度に叫ばれ、それが過重に認められ過ぎている そしてそれらは、未来への大きな不安を内包しているように感じます。


自由が行き過ぎ世の中の常識が消えていく

時代は平成から令和に変わり、ますます世の中が個人ファーストになってきた風潮が見られます。

例えば、モンスターペアレンツなどと言う表現がいつの間にか当たり前な単語になってしまった、教育界現場がそうです。

マスゴミ※から袋叩きにされ続けてきた教育現場は、まさに悲惨そのものです。

(※事実とかけ離れた歪曲した報道をする某新聞・某テレビ局を非難する蔑称)

何でもかんでも、自分の考えを声高に主張すればいいのではありません。その結果として全ての責任を学校サイド、行政側が負わざるを得ない今の時代は間違っています、完全に。


子供は未来を担う宝です。それは間違いありません。

しかし、いわゆるバカ親が我が者顔で跋扈(ばっこ)している現在の日本はいかがなものでしょうか。

これが自由であるとは、わたしには到底思われないのですが。


チャップリンの名演説を支配している『真の自由を』を見ながら、令和の今後を憂う(うれう)ことが次第に修正されていく世の中であってほしいと願います。