恵まれている自分自身に気付かない愚かさ+舘野泉氏の驚異的復活に学ぶ

投稿者: | 2020-01-06
人は往々にして、いま自身が置かれている状況を、なかなかプラスにはとらえられないものです。
どうしても、マイナスな面ばかりにとらわれてしまう。

かくいう私も、最近まではそうでした。

自分自身ではプラス思考のつもりでも、意識下にある潜在意識では「不安」や「あきらめ」が相当な勢いで渦巻いているのです。


【名ピアニストに見る最悪状況下における判断例】

ここで少しイメージしてみて下さい。


世界的に有名な名ピアニストが、66歳のときリサイタルの最中に脳溢血で突如倒れた。

懸命の治療の末、後遺症として右半身不随で症状固定。今後ピアニストとしては絶望的と、医師からの宣告を受ける。

しかし、そのわずか一年後には有名音楽祭に登場、左手のみのピアニストとして演奏し奇跡的カムバックを果たす。

83歳の現在でも、バリバリの現役プロピアニストとして精力的に演奏活動をこなしている。

とても左手だけで弾いているように聴こえません。

舘野泉氏の演奏はこちら  ↓ ↓
【北欧の有名なクラシック音楽入門!舘野泉氏の驚異的復活に超感動】


一見すると、「ふーん」で終わるどこにでもあるようなお話しに聞こえるかも知れません。

でもちょっと待って下さい。

ここから先が大変に重要なのです。

この方の年齢と闘病の期間に、もう少しだけ注目して頂くならば全く別の世界観が出現します。

ここで、世間一般的なサラリーマンのパターンを見てみましょう。


【一般的な人生の流れから見るならば】

66歳と言えば、50歳以降からの定年退職後に嘱託社員などで再雇用され、何とか収入を得て生計をたてながら65歳の年金受給年を待つ。

そしてようやく年金支給の年を迎えてホッと一息、と言った世代です。


そこで、ある日突然脳溢血や心筋梗塞で倒れるのは、決して珍しいことではありません。
命は助かったが、半身麻痺が残ったという方も世の中には大勢いらっしゃいます。

リハビリの痛みに耐えながら、長年必死に頑張る人ももちろん大勢いらっしゃいます。

医師が驚くほどの驚異的な回復を遂げて、後遺症もほとんど無い方々の強靭な精神力には、ただただ脱帽し尊敬するのみです。


私がここで読者の皆さまにお伝えしたいのは、巷(ちまた)にありふれた(と言う表現は適切ではありませんが)感動のストーリーではありません。
ちなみに私は某民放テレビ局が毎年夏場に放映している「○○は地球を救う」には批判的です・・と言うより、まず見ません。

この手の低俗な押し売りレベルの感動実話ではないのです。


【復活を成し遂げた名ピアニストはここが違った】

始めにご紹介したこの方、実はフィンランド在住の世界的ピアニスト『舘野 泉(たてのいずみ)さん』です。

前置きが長くなったので、私がお伝えしたい事を書いてしまいます。


かの舘野氏は、ピアノリサイタル本番の最中に脳溢血で倒れ、担当医から再起不能を宣告された時、どのような感情を持ったのか、ここです。


このような状況がある日突然に襲い掛かってきた場合、大抵ならばく「生きる気力を失くす」「深く落ち込む」「鬱状態が続く」書き出したらキリがありません。

しかし、大多数の方々は多かれ少なかれこのような暗闇に陥ると予想できます。

かく言う私も、間違いなくそうなるでしょう。それは誰も批判出来ません。


ですが、舘野氏はそこが全く違うのです。

どうぞお読み下さい。

「周りの人達は皆わたしを見て『大変だったでしょう』から始まり、哀れみと同情の眼差しいっぱいで私と会話する。でも今まで私は、自分自身を可哀想だなどと思った事は全くない」

「落ち込んだのは最初しばらくだけで、『なってしまったものは仕方ない』と思い、その後は倒れる以前と同じ気持ちで毎日を過ごした

「左手でいつもどおりにやればいい、それだけの事です。不幸でもなんでもない

【気付きが人生に及ぼす爆発的効用と影響】

「左手だけのピアニストって、世界中でも珍しいよな。よしっ!やってみるか」

本人のインタビューを聞いて私は本当に驚きあっけにとられ、そして心底から尊敬の念を抱きました。

【なってしまったのだから仕方ないじゃないか】

この思考です。

すべてはここに集約されています。

自分ならとてもそんな気持ちにはなれないだろう、それに近い気持ちを持つだけでも相当な時間を要するに違いない、そう思います。


舘野氏は、お正月明けの演奏会で倒れてから翌年夏の演奏会でカムバックするまでの期間わずか一年半ほど。

口で言うのは誰でも軽々と言えるものですが、身体の半分が言う事を利かない状況下でのそれは、ものすごく長い道のりだと感じます。


【マイナスを大きなプラスに転じる解釈の重要性】

そして舘野氏の奥様は音楽大学で教鞭に立つフィンランド人ですが、彼女の弁がまたふるっているのです。

「私は、夫が半身不随になって幸せです。」

「今まで一年のうち半年間ほどは海外への演奏旅行で留守にしていたのが、いまでは毎日自宅で夫婦一緒に過ごせるから。」

「もっとも復帰してからは、左手ピアニストとしてまた留守が多くなってきましたが(笑)」

何と慈愛と人間味に溢れた方なのでしょう。

夫婦かくあるべし、みたいな理想の夫婦像だと思うのは私だけではないと思いますが。
さてあなたはどう感じましたか。


【視点を若干変えるだけで絶大なる効果】

ここで、読者の皆さまに気付いて頂きたかったのは、理想の夫婦像ではありません。

この記事タイトル、「恵まれている自分自身に気付かない愚かさ+気付きの瞬間の大爆発」。


「○○だから出来ない」「△△だから無理」「××だから望みがない」「可能性が無くなった」・・いくらでも言い訳出来ますね。

でもその弁明、果たして本当にそうなのか。

結局のところ『逃げ』『現実逃避』ではないのか。

違う視点でもう一度見直してみたのか。相手側だけに本当に100%非があるのか。

要は、いくらでもやり直す方法もチャンスも充分に目の前にあるのではないのでしょうか?と言いたいのです。

さてあなた様はどうでしょうか。


まったく心に響かないなら、これを読んでみてください。

何かが見えてくるかも知れません。


最後までお読み頂きましたことに感謝いたします。